キュロス王による解放

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2017年11月12日  第二主日礼拝

イザヤ書44章24~45章1節

宣教者:富田愛世牧師

【イメージ】

私たちが何かをイメージする時、自由な発想でイメージしていると思い込んでいます。しかし、その自由は時代、環境、刷り込みによって、かなり限定された枠の中での自由であり、そこから出てくるイメージも限定されたものになることが多いようです。

【神の計画】

神の計画という言葉をイメージする時、何か動きのある、積極的で明るいものをイメージすることが多いと思いますが、それは現代の日本人という枠にはまったものなのです。イスラエルの民にとって、捕囚の50年は何も起こらず、何も変わらず、沈滞ムードが蔓延していました。そこには神の計画などあり得ず、神に見捨てられた自分たちというイメージがあったと思います。しかし、この50年こそ、神の計画だったのです。

【解放者】

この沈滞ムードを打ち破ったのがペルシャのキュロス王でした。キュロス王はバビロン捕囚からイスラエルを解放しました。民は故郷に帰り、その後、神殿の再建へと歩みます。しかし、イスラエルの解放は彼らにとって、あり得ない方法でした。神は、神を信じていない王に油を注ぎ、用いるという方法をとられたのです。

【神の自由】

私たちはクリスチャンでなければ、神からの油注ぎを受けるはずがなく、神の国建設の業に参与できないという、限界を定めた、狭く、小さな常識を持っています。しかし、神はクリスチャンでない者に油を注ぎ、神の国建設の業に参与させるという自由な、豊かな発想を持っているのです。私たちにはクリスチャンらしさという教会の作った枠の中で生きるのか。それとも神によって自由にされた信仰の世界に生きるのか、選択に迫られているのです。

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