イエスさんだぞ

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2017年1月22日

マタイによる福音書9章18~26節

宣教者 富田愛世牧師

【ある指導者】

福音書には共通する記事がたくさん出てきます。この箇所もその一つでマルコやルカの福音書にも記録されています。しかし、マタイは「ある指導者」としていますが、他は「会堂長ヤイロ」と肩書きと名前を記録しています。この指導者とはユダヤ人にとって心の拠り所であった会堂の責任者で、尊敬され、社会的信用もあった人物だったのです。もしかするとこの指導者から見るなら、イエスは異端者で社会の秩序を乱す者と映っていたかもしれません。

【悲しい現実】

しかし、愛する娘の死という現実に直面した時、彼はイエスの所にやってきたのです。人は人的な力の限界を知った時、神に頼らざるを得なくなるのです。彼がイエスに助けを求めることを「家」の者たちは反対したことでしょう。しかし、彼は社会的立場、名誉、世間体を捨てることによってイエスの前にひれ伏す勇気を得たのです。

【名もない女】

指導者の家に行く途中、一人の女がイエスの衣に触れ、その病が癒されました。この女の人は、イエスの服に触れさえすれば治してもらえると思ったようです。その行為を単純に「信仰深い」と受け取れるかは難しいところですが、イエスはそれを認め「あなたの信仰があなたを救った」と語りました。

【イエスさんだぞ!】

家に着くとそこは絶望の只中でした。泣き叫び、騒いでいる人々の姿は、娘の死を受け入れきれない悲しみと怒りを表しているのです。イエスは「少女は死んだのではない」と語り人々を追い払われました。そして、少女の手を取ると少女は起き上がったのです。二人ともイエスの言葉を聞く前に、イエスへの信頼を現していました。その信頼にイエスは最善の形で答えてくださったのです。

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