もう泣かなくともよい

2019年2月3日   主の晩餐礼拝

ルカによる福音書7章11~17節

宣教者:富田愛世牧師

【涙を流す】

人は様々な感情が原因となって涙を流します。その感情には悲しみ、怒り、悔しさ、喜び、心配、恐怖などがあります。これらの感情に共通性はありません。しかし、一般的に語られるように、涙を流す行為は心のゴミを洗い流す、浄化作用であるという点で共通しています。

【泣くことに対する評価】

泣くことは人の精神衛生上、非常に重要なことですが、泣くことに対する社会的な評価は、そうとも限りません。日本では、男女や年齢によってその評価が変わり、大人の男性が最も厳しい評価を受けます。しかし、泣き女と呼ばれる習俗が世界中の様々な文化の中で見られるように、葬儀の時など悲しさを強調させたり、弔うためには涙を流すことが必要なのです。

【ナインのやもめ】

少し聖書から離れてしまいましたが、イエスはカファルナウムで病気の癒しという奇跡を行い、その足でナインという町にやってきました。そこには一人息子を失ったやもめがいて、今、葬りの真っ最中という場面に出くわしました。町の人々もたくさん葬列に加わっていたでしょうが、このやもめの事情を知っているがゆえに声をかけることができなかったのではないでしょうか。そんなやもめにイエスは声を掛けます。

【イエスの思い】

イエスは憐れに思い声を掛けますが、直訳すると「腸がちぎれるくらい」という意味があります。イエスが人を理解するというのは軽い気持ちで「わかる」と言うのとは違います。自分のことのように相手の気持ちに寄り添って、覚悟を決めて声をかけられるのです。そして「もう泣かなくともよい」と語ります。「泣くな」と命令するのではありません。その言葉の通り、このやもめを苦しめ、悲しませた原因が取り除かれ、その一人息子は息を吹き返すのです。

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