さんび

2019年6月16日   第三主日合同礼拝

詩編150編6節

宣教者:富田愛世牧師

【さんび】

教会では当たり前のように「さんび」という行為、言葉が用いられています。しかし、一般的な生活の中で「さんび」という行為、言葉が用いられることは稀ではないでしょうか。似た言葉として「称賛」「礼賛」という言葉の方が一般的な感じがします。

【キリスト教のさんび】

キリスト教では「さんび」という行為をとても大切にしています。礼拝においても賛美は欠かす事の出来ないものですし、「主を賛美するために民は創造された」(詩編102:19)と聖書には書かれています。もちろん「さんび」という行為は歌や音楽に限らず、ダンスや詩、絵画、その他あらゆる行動の中に含まれるものだと考えられるのです。

【為すべき努め】

神を賛美する、ほめたたえるという行為は「息のあるもの」すべてが為すべき行為であると聖書は語るのです。なぜなら、すべてのものが神のものだからなのです。(ヨブ記41:3)神に対する賛美、それは創られたものが、創ったもの、つまり創造主に対して、感謝を表すことに他なりません。私たちは、自分の存在を偶然のものと捉えるのでしょうか、それとも計画されたものと捉えるでしょうか。

【存在を喜ぶ】

この二つの捉え方の違いは、それぞれ生き方の違いになって表れてくるはずです。偶然の存在だとするなら、生きる意味があるのか、そこから探さなければなりません。しかし、計画されたものであるなら、その存在そのものに意味がある、さらに目的をもって創られているということになるのです。私自身を、そして、家族や関わりのあるすべての人を、意味ある存在として、目的をもって創ってくださったことに感謝するということは、創られたものとして当然のことであり、喜ぶべきことなのではないでしょうか。

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