ごめんなさい

2018年6月24日   神学校週間礼拝

マタイによる福音書5章21~25節

宣教者:小勝琢生神学生

今日の聖書箇所はマタイ福音書5章から7章『山上の垂訓』と言われる説教の一部です。イエス様は『山上の垂訓』で一貫して心の問題・心のあり方を最重要なものとしておられます。イエス様が来られる前、旧約聖書の預言者も心のあり方を繰り返し私たち人間に指し示し、道に外れ無いように警告を何度も発してくれました。しかし、イエス様の時代、肝心な律法学者やパリサイ派指導者は心のあり方よりも律法の枝葉末節を優先させ、意味薄い戒律を造り(安息日には爪を切ってはならない、火事も消してはならない・・・700以上あったと聞きます。)民に押し付けます。窮屈な掟を押し付けられ続ける民の心は傷つき夢や希望がありませんでした。人を救う筈の宗教指導者は自分の身分を守る偽善者に成り下がっていたのです。

主なるイエス様はこの様子に心を痛め、律法の本当の完成、社会全体の方向転換、心の解放、希望を与えるためにこの世に降りてこられ、この説教を始め次々に心の回復を展開していきます。

しかし、この説教は読み方によってはとても厳しい言葉に感じられます。出来たら避けたい所もありますね。特に今日の箇所は『仲直り』を求められています。プライドや恥ずかしさを身に付けている私たち人間は『ごめんなさい』がなかなか言えないので苦手な所といえます。大切である事を分っているのに実行できないその筆頭ですね?

そして、現代の私達はこの時代の人たちよりももっと傷付いています。そういう私たちにイエス様はどの様な言葉をかけるのでしょうか?

でもご安心ください。イエス様は厳しいだけではありません。本当に大切な事、つまり心のあり方を、独特の話し方、新しい視点の示しに拠って気付かせてくださいます。

この箇所にもそれが見出されます。頑なな律法学者やパリサイ派の人たちにも愛を持って気付きを与えようとされている、その様に読めます。新約聖書を通して、主イエスは私達に慈しみを持って希望を示して下さいます。

どの様な声をかけて下さるのでしょうか?今日もイエス様の声に耳を傾けていきましょう。

 

*メッセージの動画をYOU TUBEにアップしました。

下記のアドレスにアクセスしてください。

「ごめんなさい」 https://youtu.be/SRtRW_YET7k

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